キム・ファッションと・クバヤ

KIM FASHION and NYONYA KEBAYA

美のヘリテージ

日本の皆さん、こんにちは。
私はマレーシアン・チャイニーズのコイド・ブン イエン(Koid Boon Ean)、日本の友人はイエンと呼びます。このウェブサイトでは、マレーシアが誇る伝統衣装ニョニャ・クバヤについてご紹介させていただきます。

クバヤとは19世紀頃ジャワで生まれた衣装で、海を渡ってマレー半島に伝えられ、当地のプラナカン(注1)によって華麗で贅沢なものに発展を遂げました。ニョニャとはプラナカンの女性を指し、このあでやかな衣装は「ニョニャ・クバヤ」と呼ばれるようになります。贅沢な刺繍をたくさんほどこしたニョニャ・クバヤはまさに着る宝石。私の祖母から代々伝えられたニョニャ・クバヤの技術は、今やマレーシアの文化遺産として見直されるようになりました。ここで私たちのファミリー・ヒストリーをお話しいたします。

注1)プラナカンとは外国人と現地人の混血をルーツにたどる人々を指します。多くの移民が集まったマレー半島では、中国系プラナカンに大変裕福な者が多く、とても優雅な生活をしていました。

 

ロイヤル・ファミリー御用達となった私の祖母と母

私の祖母コー・ゲックシム(Koh Geck Sim)は東海岸クランタン州の州都コタ・バルの中流家庭に生まれました。早くからファッションに興味を持っていた彼女は、当時イギリス植民地だったコタ・バル(※地図参照)でイギリス婦人から裁縫を習い、当時流行のドレスを作るビジネスに着手しました。やがてシンガー・ミシンを使って手動で刺繍をするようになります。彼女はまもなくコタ・バルで有名なクバヤ・テイラーとなり、クランタン王室のレディーたちからも注文を受けるようになります。

私の母リム・スウィーキム(Lim Swee Kim、キムの愛称で知られる)は祖母コーのもとで9歳から刺繍を習い始め、コーの商売を手伝いました。キムはやがてペナンのプラナカンで役人だった私の父に見初められ結婚、独立して自分のテイラーを開きます。彼女が29歳のとき、コタ・バルから父の故郷ペナンに引っ越しました。彼女はまもなくペナンで有名となり、ペナンのプラナカンや多くの上流階級の人々から支持されるようになります。

エンドンさんとの出会い

そんな顧客の中のひとりに今は亡きダティン・サリ・エンドン・マームッド(Datin Seri Endon Mahmood)、アブドゥラー・バダウィ前首相夫人もいました。日本人の血を引くエンドンさんは、首相夫人になる以前、教師をしていたころから母キムとは親しい間柄で、旅行も一緒に行くほどの仲でした。そんな彼女が首相夫人となり、死にかけていたニョニャ・クバヤという工芸文化を広めるため勢力的な活動をしてくださったのです。エンドンさんは2001年に『ニョニャ・クバヤ』という美しい写真集をも出版し、イギリスやオーストラリアなど海外にもニョニャ・クバヤを広めるための展示会を開催しました。もちろん母、そして私もエンドンさんと一緒に毎回海外展示会に参加しています。

 

私とニョニャ・クバヤ

私は子供の頃から母のミシンに囲まれて育ち、12歳のころからクバヤ刺繍を習い始めました。私の家にはいつも十数人のお針子さんたちが出入りしており、彼女たちにあやされながら、自然に刺繍に馴染むようになったわけです。高校卒業後、母の道に進もうという決心をし、ファッションを勉強するために東京の文化服装学院で1988年〜1990年の間勉強をしました。語学学校も1年通ったので、通算で4年間日本で勉強したことになります。その後マレーシアに帰国し、母と一緒に2000年ペナンの有名ショッピング・モール、ガーニー・プラザにお店「キム・ファッション」をオープンしました。このお店のお客さま第一号になってくれたのは、他ならぬエンドンさんでした。

私たちの目指すもの

大変残念なことにエンドンさんは2004年にお亡くなりになりました。母キムは今でもエンドンさんとの約束「ニョニャ・クバヤの伝統を絶やさないこと、この工芸を広めること」を忘れず、仕事の傍らクバヤ教室もやっています。そんな母キムはエンドンさんやバダウィ首相の主導で作られたクラフ・タンガンという組織から人間国宝にあたる賞をいただきました。母キムは寝ても覚めても頭の中はクバヤのことばかり考え、寝る間も惜しんで仕事に励む人です。そんな母には付いていく自信を失うことも多々ありますが、プロセスは違っても母と私の目指すゴールは同じです。

そんな私も再び日本に戻ってきました。日本でもクバヤに興味を持つ女性が増えて来たと聞いて、日本に住むならこの機会にクバヤ教室を始めようと思ったのです。しかし南国の衣装クバヤが日本にどう受け入れられるのか、まだまだ模索中です。母キムは今も尚、マレーシアはもちろん、シンガポール、インドネシアまで多くの顧客を抱え、元気に毎日クバヤの制作に励んでいます。そんな母に負けぬよう、私は私の道で頑張ろうと思います。どうか皆様のご声援、よろしくお願いいたします。

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